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紀要論文の執筆 [日常(学校)]

別に書かなくてもいいんですが、これでも研究者崩れなので、日々の英語を教えるという業務のほかに、専攻分野の論文などを書いたりしています。とはいえ、専任になってからは、いろいろな雑用に忙殺されて、査読付きの学会誌などに投稿して・・・というような具合にはいきませんで、学内紀要に掲載するものにとどまっているのが現状です[あせあせ(飛び散る汗)](それでも、手前味噌になりますが、ウチの研究紀要は、そこいらの中学・高校の同種の雑誌よりは、内容的にレベルは高いと思いますし、刊行物としてもしっかりしたものです。中高レベルの紀要では珍しく、ISSNも取得しています)。

私は、論文を書くにあたっては、原則英語で書くことをポリシーとしています。理由はいろいろあるのですが、英語科の外国人教員を含めて読者を想定していることが大きいです。あとは、分野の性格上、英語で書かないと資料価値が半減してしまう(←自分で言うのはおこがましいのですが)ことでしょうか。まあ、ウチの場合、英語で書くと、学内の日本人読者の数が半減、いや、全滅してしまうというパラドックスがあるんですが笑。こればかりは、どうしようもありませんね。

今回も英語の論文を1本掲載することになっていて、現在、校正中です。学内紀要の場合は、校正といっても査読論文と違って、誤植の訂正以外も可能だったりします。初校の段階でいろいろ気になることが出てきて、結構、加筆修正してしまった(編集委員の皆さんごめんなさい)。文章を変えたぶん、ネイティブの再校閲が必要になるので、ちょっと大変でした。

おまけに今回は、共著論文も1本(ただし、こちらは日本語)載せることになっていて、こちらも同時進行で校正しなくてはいけない。筆頭著者なもんで、最終的な作業は全部私の担当ということで、論文作業には例年より余計に時間がかかっています。

これだけ労力をかけて書き上げても、別に出世するわけでも給与が上がるわけでもありません。残念なことに、「論文なんて書いてる暇があったら・・・」と批判される可能性すらあります。

じゃあ何で書くのか?まあ、端的には、「書きたいから」ということになります。もう少し言えば、自分の(現場での)実践なり経験、思考を、(アカデミックな)「コトバ」を使って記述し、分析し、整理をしておきたいから、ということでしょうか。あるいは、ただのteacherではなく、teacher-researcherでありたいという私自身の願望もあるのかもしれません。

いずれにしても、自分の力の及ぶ限りクオリティの高い研究を行い、その成果を日々の教育実践に織り込んでいけるように精進するのみですね。

申し渡し [思ったこと]

毎年、この時期になると、成績があまり・・・の生徒に対して、「留年警告」の申し渡しを行います。まずは、対象者全員(保護者の方も同伴)を一同に集めて、学年担任団からの「説教」、そのあとで、個別に三者面談という流れでやっています。今年度は、学年全体で20人いました。

こういうところに集まってくる人たちは、色々な意味で「ツワモノ」ぞろいなので、全体会での「説教」も自ずとヒートアップしてしまいます笑。だって、進級できるか否かの状況におかれているにかかわらず、説教中に居眠りしだす者、明らかに話を聞いていない様子の者などが散見されるわけですから。

で、予想通り(いや、予定通り?!)「君たちを何とか救って、進級させてあげようと話をしているのに、その態度は何だ!」と、ついに学年担任団ブチ切れ、ということに相成りました。まあ、ありがちなパターンですね。

かくいう私も学年担任団の一人ですが、この様子を傍らで見ながら、こんなことを考えていました。

「救ってあげる」と言うけれど、果たして、教員はそんなに「エライ」存在なんでしょうかね。

だいたい、こういう物言いの裏には「勉強ができない→留年する(かもしれない)→不幸→だから救われるべき存在」というような(教員側が勝手に作り上げた)生徒像や、「生徒は教員に救われるものである」というこれまた勝手な思い込みが多かれ少なかれ隠れているように思う。

成績不振は正直言って好ましいことではないかもしれないけれど、現状をどのように捉えるか、どのような判断を下すかを決定するのはあくまでも本人(状況によっては、保護者の方も含むかもしれない)であり、この点に関して教員がツベコベ言う余地もなければ権限もないと思う(もちろん、生徒本人が判断を下す過程において、教員の(個人的)見解を求めた場合は別であるし、時には教員という立場を超えて、陳腐な言い方ですが、一人の「人間」として接することを否定するわけではありません)。

結局、教員としてやるべき(できる)ことは、事実の説明とそれに付随する可能性の指摘のみではないかと思う。今回の事例で考えれば、今の成績がどういう状況なのか、留年した場合にはどうなる可能性があるか、過去の事例を交えながら告げることであって、こちらの勝手な価値観(価値判断)に基づく「ありがたいお話」を押し付けることではない。

ある生徒が、三者面談で、全体会の感想を訊かれ、こう答えたそうです。

「まあ、眠かったすね」

ナメた奴だ、と怒り狂う前に、われわれ教員自身のスタンスをいま一度省みる必要性があるかもしれません。


1歳になったわが子 [子どものこと]

私事ではありますが、先日、娘が1歳を迎えました。

1年前が信じられないくらい、大きくなりましたね(もともとうちの子は大きめなんですが)。いまでは、つかまり立ち、ひとりお座り、寝るときには大人顔負けのイビキもかきます。まだ言葉らしい言葉は出ませんが、「いないいないばあ」の仕掛け絵本で、「いないいないばあ」めいたことを言いながら遊ぶようになりました。以前は見向きもせず、渡してもポイとほったらかしにしていたんですが・・・趣旨が理解できるようになったんですかね笑。

何はともあれ、元気で成長していってくれることが一番です。


会議の風景から [日常(学校)]

教科会議がありました。議題の中心は「中学部1年生成績不振者への対応について」という、かなり深刻なものでした。

担当者の説明によると、ちょっと大変なことになっているらしい。簡単な単語の小テストですら、1ケタ台の点数しか取れず、そのうえ追々試験まで行っても改善しない。定期試験の結果も(当然ながら)目も当てられない、といった生徒が20人程(学年全体は230人)いるらしく、英語に限らず全科目でそんな調子なので、進級が危機的状況だというのです。

このような異常事態に陥ってしまっている原因はいろいろあると思いますが、ひとつは、今年度の中1とその上の学年とは集団の学力特性が大きく異なることが挙げられます。これには、現中1からは、併設の付属小学校から無試験でそのまま進級してきた生徒が半数になったことが影響していると考えられます。

放課後補習もかなりやっているようですが、個別指導が必要な生徒も多々おり、人員的にも物理的にも、中1担当者だけで対応できなくなってきているとのこと。英語科全体としても何かしらの対策を講じてもらえないか…担当者が頭を抱えているのです。

以上のような背景があり、今回の会議にいたったわけです。

この現状をどのように打破していくのか、具体的に言えば、「成績不振者への補習や個別指導を、科目担当者レベルではなく、英語科として企画し、人員配置をしていくのかどうか」、あるいは、「学校側に少人数制や能力別クラス編成の導入を申し入れていくのかどうか」などについての建設的な意見交換が行われることを期待しつつ、私も会議に臨みました。

自分なりの意見をまとめながら、議論に耳を傾けていると、話が不思議な方向へと動いていくのに気がつきました。

「付属小は勉強する習慣が身につけさせないままに、中学に送り出している。無責任だ」
「付属小の卒業(進級)判定が甘いのではないか」
「付属小の入試がいい加減だから、そもそも能力的に不十分な生徒が入ってきてしまっている」
「小学校段階で成績不良の場合、他中学へ進学させることを、もっと積極的に推し進めるよう申し入れるべき」

などと、そこいらのオッサンの与太話みたいなことを次々に言い出すだけに終始していたのです。

一気にやる気なくしました。

我々が成績不振の生徒に対し何をするのか、という視点が全く欠けた、初等教育に責任転嫁するだけの愚痴不満大会…こんな不毛なことに貴重な会議の時間を潰してヒートアップしまう人々の見識の無さに暗澹たる気持ちになり、私は何も発言しませんでした(←こういうのが本当はダメなんですが)。何も言わなかった他の先生方も恐らく同じことを感じていたのではないかと思います。

結局、会議は「付属小に中学部の現状を伝えてもらうよう、学校側に働きかける」という、「何も話し合いませんでした」と言っているに等しい結論で終りました。一体何の為の会議だったのか…。

いろいろとネガティブなことばかり書いてきましたが、中1の現状についての情報を共有できたことは意義があったと考えます。次回の会議では、有意義な結論が得られるように、積極的にコミットしていきたいと思っています。
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