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申し渡し [思ったこと]

毎年、この時期になると、成績があまり・・・の生徒に対して、「留年警告」の申し渡しを行います。まずは、対象者全員(保護者の方も同伴)を一同に集めて、学年担任団からの「説教」、そのあとで、個別に三者面談という流れでやっています。今年度は、学年全体で20人いました。

こういうところに集まってくる人たちは、色々な意味で「ツワモノ」ぞろいなので、全体会での「説教」も自ずとヒートアップしてしまいます笑。だって、進級できるか否かの状況におかれているにかかわらず、説教中に居眠りしだす者、明らかに話を聞いていない様子の者などが散見されるわけですから。

で、予想通り(いや、予定通り?!)「君たちを何とか救って、進級させてあげようと話をしているのに、その態度は何だ!」と、ついに学年担任団ブチ切れ、ということに相成りました。まあ、ありがちなパターンですね。

かくいう私も学年担任団の一人ですが、この様子を傍らで見ながら、こんなことを考えていました。

「救ってあげる」と言うけれど、果たして、教員はそんなに「エライ」存在なんでしょうかね。

だいたい、こういう物言いの裏には「勉強ができない→留年する(かもしれない)→不幸→だから救われるべき存在」というような(教員側が勝手に作り上げた)生徒像や、「生徒は教員に救われるものである」というこれまた勝手な思い込みが多かれ少なかれ隠れているように思う。

成績不振は正直言って好ましいことではないかもしれないけれど、現状をどのように捉えるか、どのような判断を下すかを決定するのはあくまでも本人(状況によっては、保護者の方も含むかもしれない)であり、この点に関して教員がツベコベ言う余地もなければ権限もないと思う(もちろん、生徒本人が判断を下す過程において、教員の(個人的)見解を求めた場合は別であるし、時には教員という立場を超えて、陳腐な言い方ですが、一人の「人間」として接することを否定するわけではありません)。

結局、教員としてやるべき(できる)ことは、事実の説明とそれに付随する可能性の指摘のみではないかと思う。今回の事例で考えれば、今の成績がどういう状況なのか、留年した場合にはどうなる可能性があるか、過去の事例を交えながら告げることであって、こちらの勝手な価値観(価値判断)に基づく「ありがたいお話」を押し付けることではない。

ある生徒が、三者面談で、全体会の感想を訊かれ、こう答えたそうです。

「まあ、眠かったすね」

ナメた奴だ、と怒り狂う前に、われわれ教員自身のスタンスをいま一度省みる必要性があるかもしれません。


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