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授業の哲学 [授業実践]

今年度の担当科目の1つに「英語Ⅰ」というのがあります。これは、高校1年生の、世間的には「リーダー」と呼ばれることの多い科目です。うちの学校でも、この科目については、読むという側面を重視して教えられています。まあ、学習指導要領的には、読解だけではなく、聞く、話す、書くことも含めたすべての技能を指導することを視野に入れた科目のはずなんですが。

私と他2人の教員で担当しているのですが、そのうちの1人と話していたときのこと。いま扱っているレッスンについて、こんな質問をされました。

「知覚動詞+目的語+原形不定詞の受身の形はここで教えておきますか?原形不定詞が受身ではto不定詞になることを注意させないといけませんね」 

「この学年の生徒は仮定法をどの程度知っているのですか?教科書のなかに出てくる、直説法の if なんですが、仮定法との違いを説明したほうがいいですか?」

正直言って、この議論は私にはピンと来ませんでした。今回のレッスンの教材研究をするにあたって、こういう観点は、「無」でしたから。文法研究の詰めが甘いと言われればそれまでですが、次のようなことを考えました。

私はこの科目の授業をどのように進めているかというと、先日も少し書きましたが、英語によるOral Introductionや、生徒と教師との英問英答によるやり取りを中心として、なるべく英語のままで読解のポイントとなる部分を理解させ、最終的には文章の内容を英語で要約させるところまでやっています。

もちろん、文法や語彙・イディオムの解説、日本語訳も(しっかりと)つけますが、あくまでも授業の焦点は「英語から英語で情報を読み取りまとめる」、つまり「読解」(←限定的な意味ではありますが)ということにあります。

だから、教材研究も、読解発問、読解のポイントの提示順序、Oral Introductionにおける、新出単語や表現などの平易な英語での言い換えと補足説明、英語による背景知識の説明、などを考えるのに時間が費やされます(文法研究も行うのは当然のことです)。

授業では、本当に必要不可欠な文法事項(や単語)以外は、本文を「読解」しているときは細かく立ち入ることもないし、場合によっては一切触れないときもあります。ましてや、文法的な変形操作を「読解」の最中にやることなどありませんし、反意語やら派生語やらを黒板に脈絡無く羅列することもありません。内容理解に貢献するものだけを厳選して取り上げているつもりです(もちろん、このプロセスで省略されてしまった事項は、本文がすべて終わってから、必要に応じて別に時間をとって丁寧に解説を施しますよ)。

で、最初のハナシに戻るのですが、結局、私ともう一人の教員は、授業に対する視点というか、議論の立ち位置が全然違うんですよね。一方は「文章」の内容(要旨)を読み取ることが思考のスタート地点。もう一方は、外国語の「文」を解読して、日本語とも照らし合わせながら意味を理解していく、というプロセスが中心に考えられている(と推測)。

よって、教材研究のスタンスも全く異なっているのではないかと思うのです。

これは、どちらが正しいとか間違っているとかではなくて、授業を通して何がしたいのか、何を重視しているのか、生徒にどういう知識や技能を身に付けてもらいたいのか、根本的な部分での授業観の違いであって、ある意味、交わることの無い議論のような気がします。

でも、担当者間で授業コンセプトのベクトルが「ねじれの位置」って、ちょっと微妙なんじゃないか、という疑惑が。。。ただ、授業観というのはその人の教師としてのアイデンティティーに関わる部分かもしれから、議論しにくいよなぁ・・・と思ったりする今日この頃です。
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